ユニコーンやら電気グルーヴやら筋肉少女帯やらSMAPやらお芝居やら

おしゃべりするネコ。

なんかめっちゃ可愛くて、いろんな人に勧めてる動画w

おしゃべりをするネコ

そして、それの翻訳版

めっちゃカワイイ。

川西語録にホロリとしたワタクシ。

この間、阿部友と語り合ったこととか思い出しちゃいました。

なんだかんだで、川西さんは奥田さんのソロ1発目のテレビ仕事でドラム叩いてるし、阿部さんのソロになって1発目のピンでのテレビ仕事にアシスタントで一緒に出てるし、その後もイロイロ仕事してるし、ライブにも来てたし。

FISH or DIEを読んでると想像以上に奥田さんのダメージもすごくて、そら解散するよ!みたいな。

阿部ヲタだったんで阿部さんばっか気にしてたし、イメージとして奥田さんはなんだか大丈夫っぽい感じがしてて、釣りとかやって鋭気を養って満を持してのソロ活動かーくらいに思ってて、ゴメン奥田さんって気持ちに。←今ごろ

だからこそ、今のデレてる奥田さん見てると「よかったなあ」って幸せな気持ちにw

川西さんにしてみれば、バンドの方向がなんだかとっちらかっちゃって、そういうのを修正っていうかそういうキッカケと思って飛び出したのかもしれないけど、想像以上に2人のダメージがすごかったんじゃないだろうかと思ったり。

っていう話を延々したのだった。 ←妄想族

奥田さんは休むという方法をとり、阿部さんはとにかく動いてないとダメになりそうな感じで動いてたのかなあ、とか。

入れ替わりで奥田さんのソロが始まり、阿部さんのテレビ仕事がパタっと終わって、しばらくして独立しちゃったんですよね。

って、この独立も思いきったよね!というか、かなりムチャしたよね!って話もしましたw

まあ、独立してもH&R関係のイベントに出たりなんだりと、円満退社っつーか、なんつーか、どこかで繋がってたワケですけれど。

で、今に繋がる変遷をあれこれあれこれあれこれ、語りまくったワケです。

ワタシはあまりテレビとかに出てるソロ阿部さんを見る機会がなかったんですけれど。

でも、Turezureとかmixiとか、見れる時代の頃のテレビ(VJとおばあちゃん)は見てたし、その前のユニコーン時代だとサウンドコニファーは全部録画してたしw ←引越のときに持って来そびれ全部捨てられた件のヤツ_/乙(、ン、)_

そんなこんなで、見てきたものは同じだったので、特に説明もいらなくて、ツラツラツラツラとあのときはこのときはと語れて楽しかったのです。

あと、地方と東京とではやっぱり情報量が違ってて、ライブとかクリパとか本人と接する機会も数が違うので、お江戸でのいろんな話が聞けて楽しかったなあ。

36の歳になる阿部さんが書いた

東京を飛び出す8〜9年前からは、感情を殺す事を習慣に言い聞かせて過ごして来ました。

音楽にしても、会話にしても、車の運転にしても、全てにおいて。

どっかの脳を長時間使うと決まって何かが怒るので。

とにかくそうしていないと心が壊れてしまっていたからです。

抜け出すのに時間は掛かりましたが、今思えば良い勉強になったとおもいます。

最近は海岸の夕日を見るのが日課になっていて、

阿部義晴」は思う存分どっしりと、

身体全体をイマジネーションの媒体にしようとしています。

とにかく「世の中広いなぁ、まだまだやる事がいっぱいだなぁ、」ってことで、

まずはドラクエ4をクリアーしなければいけないわけです。

という日記がとてもとても印象的で今でもヒマがあれば何回もTurezureを読んでしまうキモヲタなんですが、これを読むと、なんかイロイロ抜けてよかったなあと思ってしまうのでした。

引越で抜けて、四ツ葉で抜けて、そして、今って感じがする。

人の人生の端っこをのぞき見してる感じなワケですけど、いやーなんかホントに人に歴史ありだなあ。

そして、復活ユニコーンでは上手く自分のキャラを作ったなあって思いますw

化けてますよねwww

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芸能人ってすごいなあ。

カトリさんなんか10歳の頃からずっと芸能人で、でもって、スマっていう有名グループの一員で、ずっと誰かに人生の端っこ見られてて…。

すごいなあ。と、あらためて。