過去のワタクシ
ファイルを整理していたら過去のワタクシが書き散らしたユニコーンの想い出がでてきました。
解散に傷心してるワタクシ。
再び、ユニコーンのために全国各地を飛び回るとは思ってないワタクシ。
ホントは阿部ソロの続・風花雪月の感想を探してたんですが、出てこず…どこに…。
当時、歌の歌詞を紹介しつつ、日記を書いていた模様です。
SMAPのヲタクサイトをやっていたのでした。
サイトは今も遺跡のように残っています。
たまに読み返すと、この頃は書く(描く)のが好きだったんだなあって思います。
2001/03/04 命果てるまで
イイ歌だ。これをシングルカットしてあげくプロモビデオをロスのブルーフィルム専門スタッフに撮ってもらったっつーユニコーンが好きだった。
当時、CSAと呼ばれていた会社に居たユニコーンが好き勝手できたのは敏腕マネージャーの原田公一さんという人が居たからだ。
原田さんはひげ面で英語ぺらぺらのナイスガイ。楽しいこと新しいことカッコいいことが好きな人でメンバーのおもしろそうなアイデアを潰さないように本当に上手くマネジメントしていた人だった。
ソニーという会社に所属していながら、ユニコーンは関連会社勤務のように別働隊で動いていた。ライブのグッズもイロイロあった。
パンフなんてめっちゃおもしろかった。
パンフのコーナーに「うーちゃんのロックなウワサ」ってのがあって、「奥田民生と阿部義晴がデキているというウワサは本当だ」とか莫迦なウワサ話一覧みたいなのを載せてみたりしてすごいよかった。あからさまにウワサを否定するわけでなく、冗談で笑い飛ばしてる感じがすごくよかった
原田さんの実力と人柄でうまく会社と折衝し、ユニコーンはすごくおもしろい活動をしていたのだった。ユニコーンのメンバー自身もそんな原田さんのためにイイ仕事をしていたと思う。
会社のために仕事するって人は案外少ないと思う。いい上司がいればその人のために、とか、営業さんががんばっているからそのがんばりに応えようとか、結構、そういうえこひいきも強いんじゃないかと思う。仕事自身にやりがいがあれば、それをやり遂げる!ってことにがんばる人もいるだろうけど。
いい人柄に出逢えばがんばれる。と思うと、やっぱり人間、最後は人柄で勝負なのか!?
同じことを言われても、カチンと来る相手とそうか〜ってこっちが反省する場合とあるもんね。
結局、原田さんはユニコーンが解散した後、ソニーに残った民生さんのマネジメントをしている。ソニーの中に居ながら、Hit & Runという名前でソニーとはまたちょっと違う別働隊として活動している。パフィーもHit & Run所属だ。ワタシが好きな阿部さんは、音楽を作るサイクルが商業サイクルとあわなくなってきた…と、自分で有限会社を起こし、社長兼所属ミュージシャンとして活動している。
結構、正反対っぽい阿部奥田ペアが、結局、今もつきあいが深いってのもおもしろい。
こういうことをいうと違うよ!って怒るユニコーンファンもいるかもしれないけど、阿部さんが入ってからのユニコーンはおもしろかった。それまで、民生カラーでひっぱってきてたグループが阿部って人の出現でかき回され、メンバー一人一人のカラーがすごく打ち出されてきた。それぞれに個性があるからおもしろくて、曲もバラエティに富んでいて、ジャンルが決められないグループってなった。
ただ、ユニコーンはカラーがバラバラになったことでそれぞれのベクトルが微妙に別の方向をむきだして、結局、発展的解消をしてしまった。すごく悲しかった。5人での音が聞けなくなる、ホントに悲しかった。
その先 左に曲がったら。
車で右折待ちしてまでホテルには入らないもんね(笑) 大概ホテルに車で入るときは左に曲がる。
民生さんのこのテの歌は結構、自分で書く話の中の慎吾のテーマソングだったりするのだった。深い!
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2001/04/03 欲望
乙女だよね、乙女。大好きなんですよ、この歌。
ユニコーンが解散した後に阿部さんが出した初シングルでした。プロモが泣けるのだった。ユニコーン最後のプロモの「すばらしい日々」のラストカットから始まるのね。後はオール香港ロケ。香港の街を歩き回る阿部さんの姿をカメラが追ってるだけのプロモなのね。
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2001/06/09 PTA〜光のネットワーク
学校ソングっつーとコレかしら。当時、光GENJIが大人気で阿部奥田ペアはこの曲を歌うときは光GENJIを意識して、ローラースケートで滑るフリして歌い踊ってました。
アレンジはTMネットワーク風。
先生も人間だし大変なんだよって歌なんですが、ホント、そうですよね。
だって、考えてみてください。自分の同級生が先生やってたりするわけですよ。ええーっ先生に悪さばっかりやってたアナタが先生にぃ?!って感じですよ。
小学生の頃は先生ってスゴクてなんでも知ってて頼れる人でって、なんとなく自分とは別の人みたいな感じがあったんですが、今、同級生が先生とかって思っちゃうと、フツーだったんだなあって。
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2001/06/14 ハヴァナイスディ
名曲。
全国をツアーするユニコーンさんの歌です。も、民生がどこに行くのが楽しかったかが一目瞭然の歌詞(笑)
短い曲なんですけど、ロケンロールでいい感じなんですよ。
ノンキな感じっつか、楽しんでる感じが、いいんですよねえ。ああ。
ライブ好きのワタクシは入れあげたアーティストのライブには数行くタイプなのですが、スマさんのチケットの販売方法については最初べっくらしました。
ユニコーンのときはファンクラブの優先と地元イベンターの優先で絶対に行きたいトコを押さえて、あとは電話予約だったんですよね。
ほぼ1人で動いていたので何故あんなに枚数確保できたのか、今となっては不思議(笑)
京都・神戸・大阪・尼崎・広島・山形・東京と行ってたわけですから。しかも各地2日ずつ。つか、パワフルですよね、これね。
大好きだったんで、ばーって交通手段とかホテルの手配をして、なるべく安くで上げるためにアレコレ調べてって、なかなかにイロイロと覚えました、あの頃。
単純にライブが楽しくて楽しくて。ホント、すっごいイイライブなんですよ、ユニコーン。本人たちが楽しそうなの。
ラッキーなことにチケットの申し込みが1枚とかで申し込むからイイ席くるんですよ!奇数って穴埋め要員なんですかね。だもんで、優先で取ったチケットは大概前から15列以内の真ん中ブロックでした。
そんな席で見ると、マイクに入ってない声とか聞こえて、ホント、楽しそうだったな。だけどねえ、演奏とか歌は上手いんですよ、彼ら。
奥田さんの曲はカラオケで難しいっていう話が出る度に「ワシが作ってる曲を簡単に歌われてたまるかいっ」って言ってました。
歌も演奏もCDより生が遙かにイイんですよ。アレンジも違うし、あと、コーラス。誰がドコを歌ってるのがわかっておもしろかった。民生さんと阿部さんの声って似てるトコがあって、一瞬どっちがどっち歌ってるのかわかんないときがあったりして、それがおもしろかったりして。
ああ、ライブはいいですよね。電気のライブもかっちょよかった。
でもって、テクノなんでどんどんどんどん同じリズムに酔ってきて、頭真っ白で踊れるし。
さて、幸せを告げてくれるかもしれない封筒。今年の私のチケット運はどうなのか。←去年自分の申し込み分は全滅した人(涙)
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2001/07/06 逆光
この曲ねえ、生で聞くとねえ、ワタクシ泣きます。もーね、絶対泣くのねえ。
涙は出ないですけどね、でも泣くんです。もーねーもーねー、民生さんの声がいいんですよ。アレンジもいーんですよ。
ワタクシ、阿部さんが作ったユニコーンの中でコレが一番好きです。
民生さんの声が年々太く丸い声になってきてねえ、ホントいい歌に成長したっつかね。ああ、思い出して切ない。
この曲と「鼻から牛乳」←なんつー題名なんだ はね、ライブで聞くとゾクゾクする2曲でございました。
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2001/09/21 すばらしい日々
1993年9月21日。
この歌を真夜中のラジオで歌ったのを最後にユニコーンってグループは川西・手島・堀内・奥田・阿部という5人の人たちになった。
発表の前、ファンクラブからの薄い封筒に「解散」の2文字が書いてある紙が入っていた。
やっぱり!
って思った。なぜなら、その年のはじめにリーダーの川西さんがユニコーンを脱退したからだ。そのときもファンクラブからの封筒に川西さん直筆のメッセージのコピーが入っていた。
少しずつ、歪んでいた。少しずつ、無理が出てきてた。微妙にやりたい音楽がズレてきてたんじゃないかと思う。
ちょっとヒネった、ちょっと複雑な、ちょっと変わったモノをずっと求められ続けて、次は何をやってくれんだろうって期待がどんどん大きくなってきてた気がした。
フツーにロケローが好きなのに、フツーってのが許されなくなってきちゃってたよーな気がした。
だから、川西さんはリーダーなのにイチ抜けしたんだと思う。キッカケを作ってくれたんだと思う。一度リセットして、もっかいそれぞれが好きなことをやってみようよっていう、キッカケを作ってくれたんだと思う。
だって、今でもメンバー同士は交流があるし仲いいし、お互いをわかってたりする。
だから、この曲がシングルとして選ばれて、ユニコーンにしては珍しくテレビに出まくってるの見て、ああ、最後なんだって思った(そーいや、MステでSMAPと一緒になってたですね)。
プロモも4人でユニコーンの墓標を建てにいくビデオだったから。民生が墓標となる十字架を担いで、4人で埋葬を見守って、その前でこの歌を歌ってたから。そして、その墓標からそれぞれの方向に歩いていくラストだったから。
発展的解消というヤツだったんだと思う。
最後のアルバムはホントにロケンローなアルバムで歌詞とかめちゃめちゃストレートで。甘い乳房からスプリングマンのテーマ。でもって、月のワーグナーあたりは今でも聞いてて泣けてくる。
やっぱり後ろ向きな前向き。そんな決断だったんでしょう。あれはあれで最後としてはよかったのかもしれない。
ワタシはたくさんライブに行ったし、見たし、聞いたし、今でもCDはあるし、ビデオはあるし。
でもね、ライブでね、目と目で語る阿部奥田とかね、オフマイクで莫迦っ笑いする民生さんとか、すっげーうれしそーにドラム叩く川西さんとか、はにかみ笑いのテッシーとか、ときどきツボつかれて甲高い笑いのEBIさんとか。
一生懸命遊んでる感じの5人で、歌うまくて、演奏うまくて、それで莫迦なことやって、自分らが一番楽しそうで。
それが見れらない。もう見れない。
ホント、すっげー悲しかったですよ。
毎年夏がきて、最後のツアーを思い出します。予感がしたんでしょうね。最後のツアーは10本くらい行ってんですよね。取り憑かれたように行ったんですよ。当日券とか買ってみたりして。
はー。
初めて描いたお話はBIRDMANなんですが、この曲にインスパイアされてます。
君は僕を忘れるから
そうすればもうすぐに君に会いに行ける
この歌詞だけであの話は出来てます。
メンバーそれぞれに対するワタシの印象も全然変わってないですね。やっぱり、あの話がすべてのお話の原点なんでしょう。
などと、センチメンタルになっちゃう9月21日なのでした。
って、ユニコーンを熱く語られてもって感じですか?(笑)
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2002/01/01 お年玉
CDショップにGOING UNDER GROUNDの新譜を求めて行ったらば入荷してなくて、そのかわりにタッキー&翼が山のようにありました。
初回限定の仕様、コレどっかで見たことあるなぁって思ったらば、アレですね。
短大時代お世話になった、ILFORDの印画紙のパッケージですよ。←モノクロ写真を手焼きするときに使う印画紙です。
ワタシも前にサイトのデザインに使おうかと思ってみたんですが、うまくまとまらずやめたのでした。
阿部義晴氏のツアーパンフもあのデザインだったなぁ。
いいものはイイってコトですか。シンプルで素敵だったからなぁ、デザインが。<ILFORD
ああいう風にシンプルかつ、あぁいいなーってデザインができたらいいんですけど、なかなかできないです。ホントに。
一応、俺様日報も月カトも基本色決めたり、フォント決めたり、□を基本にとか、○を基本にとか、ひっそりデザインして見てるんですが、なっかなか…日々是精進。
ILFORDのモノクロ写真用とモノクロームの〜♪をかけてみたんですけど、イマイチ地味だ(涙)
写真をテーマにした曲ってあったっけ?
あ、そだ。奥田民生!
主題歌は「まんをじして」って曲だそーです。楽しみ。
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2002/10/23 開店休業
名曲。
これね、メロディもいいんですよ。あと、歌の途中に入る民生さんに「ぃえーい」って声とか。なんか大きくゆったりした感じで。
んで、ユニコーンバージョンもいいんですが、ピアノのみの阿部さんソロバージョンもいいんですよ。ソロバージョンだから民生さんはいないんですけど、でも、民生さんの「ぃえーい」って声が聞こえてきそうなんです。
今日この曲を聴いてたらその日暮らしの慎吾と定職についてるツヨポンの2人が暮らしてる話を描きたくなってきました。なんとなくヒモみたいな慎吾でひとつ。「雨が降ったらお休みなんだよー」とかって、ゴロゴロしてる感じの。
ジッタリンジンの曲のカバーに続いて、ホワイトベリーがユニコーンの「自転車泥棒」をカバーするそうな。
ホワイトベリーっていうと、慎吾ママがMステに出たときに退いてるゲストたちの中で唯一一緒に遊んでくれた北の人たち…。
でもなぁ、カバーかぁ。
それはまるで、夜空ノムコウをジュニアっ子がカバーしてるような、そんな気持ちになってしまうワタクシ。
ユニコーンの曲だから、解散した後は民生さんも阿部さんも歌ってないんですもん。なお一層なんだかなぁって感じなのです。
ユニコーン聴き直したら、やっぱり自分が描いてる話はこの人達の曲からインスパイアされたモノが多いです。←かっちょいいー
ブルースって曲を聴くとドカチンな慎吾が描きたくなるし、ロック幸せを聞くとリーマンモノが描きたくなるし(笑)
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2003/07/16 イロイロ日記
宮城確認。取れたー。
今日はひょんなことからユニコーンのDVDを見てました。
午前中はサマゲリピートだったんだけど。
この人たちのことならどーでもいいことまで細かく覚えています。
ホントに大好きでした。
もー、このバンドはないんだなぁとか思いながら、すげーシミジミしてしまいました。
すばらしい日々のPVとか泣ける泣ける。
素敵なバンドだったなぁ。
しんつよドリーマー並に奥田阿部ドリーマーなワタクシ。
はぁ…。(遠い目)
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2006/01/19 うおおん
友からのメールで知るDVD発売。
ついこの間、スガシカオ氏とトータス松本氏が前厄のお祓いに行ってる映像が出てて、その端っこに阿部さんがいたのだった。
あーべーちゃーん。
ライブでカンフーやって脱臼してたアナタが前厄ですか。
なんて懐かしさに浸ってたら、DVD。
終わりがあるんだ。
って思った解散。
発展的解消だったと思うけど、でも、別れがあるんだって思った解散でした。
はー。
なんて、おせんちになってしまった1月の半ば。
ユニコーン好きだった頃ってあまりネットってメジャーじゃなくて、それこそまだパソコン通信とかの時代で ←年がバレますな 人の意見に惑わされることなく一直線に好きでいられた時代だったのかも。よくも悪くも盲目で。
今はいろんなことが拾える分、またウダウダと惑わされる自分がいます。
そんな情報に翻弄される自分っつーのもおもしろい。遠い他人のことを思う自分(笑)
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2006/02/01 すばらしい日々
昨日、奥田民生のライブに行ったら、実に13年ぶりにすばらしい日々を生歌で聞いて泣きそうになりました。
ああ、阿部ちゃんのコーラスもギターもないよ…とか思いながら、あのすばらしい日々は帰ってこないんだなあとシミジミ。
解散ライブDVD届いたら号泣しそうです。