ユニコーンやら電気グルーヴやら筋肉少女帯やらSMAPやらお芝居やら

象。

2010年3月16日 新国立劇場

作:別役 実

演出:深津篤史

出演:稲垣吾郎/奥菜 恵/羽場裕一/山西 惇/紀伊川淳/足立智充/阿川雄輔/神野三鈴/大杉 漣

久々の吾郎さんのお芝居、前回はコメディタッチだったので、今回はどうなのか。

ここんとこドラマでもちょっとコミカルな感じが多かったので、久々のシリアスオンリーな殿下はどんなんなんだろうと思いつつ劇場へ。

不条理劇ということでドキドキで行ったのですが、めちゃめちゃ不条理ということはなく、おもしろかったです。

原作も読まず他の舞台も知らずという、まっさらな状態だったんですけど、よかったです。

前半部の詞のような吾郎さんのセリフのあたりはちょっといろんなものとの戦いでしたが…。

漣さんが登場し、背景がわかるようになると話に入って行けました。

原爆症を発病し、背中にケロイドのある男が漣さん、漣さんの奥さん役が神野さん、医者役が羽場さん、看護婦役が奥菜さん、吾郎さんは漣さんの甥?

時間が経って、被爆ということが風化しがちになってしまうというか、被爆してしまった人たちがいなかったかのように療養所に押し込められてしまうというか、そんな感じを受けました。

被爆した夫を支えようとした妻もだんだんとその長い戦いに耐えられずに去って行く。

甥は、対岸の火事のように思えていた病がそうではなくなり、発病したときに男の気持ちを知り、あがく男を見ながら、どうしようもないんですよ!と悟ったようなことを言う。

自分の行く末をみるような気持ちだったのかしら。

男は現実から逃げることができたのでしょうか。

看護婦は看護婦でつきあってる人がいて結婚するから病院をやめると甥にいっていたのに、実際は発病し同じ病院に入院している。

もしかして、結婚も出産も彼女の妄想だったのでは…。つきあってる人がいても、被爆者ということで反対を受けるかもしれないし、結婚は彼女にとっては叶わぬ夢であったのではないかしら。

様々な人に哀しい気持ちをもたらすこの出来事がだんだんと風化していくことを訴えたかったのではないかしら…とかイロイロ勝手に解釈しつつ、納得しつつ(笑)帰ってきました。

吾郎さん、見る前は実は滑舌は大丈夫か?!なんていらぬ心配をしていたのですが、さらさらとセリフを歌うように語ってました。最初のほうはちょっと詞っぽい感じで吾郎さんの声って柔らかいなあとシミジミ。

ただそのせいか大きな声を出しあうとちょっと負けちゃってたかも。相手が漣さんだったこともありますが。

今までヒトゴトだったのに自分が発病してしまい、少し叔父には同情気味だったのにそれがなんだか茶番っぽく感じてる感じ←面倒くさい言い回しだ! が伝わりました。もうガッカリすぎて諦めることで納得しようとするところがなんか哀しくてヨカッタ。

漣さんは熱演でした。途中、素に帰るっぽく演出されてる部分があって、そこはドキっとしました。

末期の原爆症患者さんにしてはとても立派な体格ではあったけど、でも、強がりと哀しみと寂しさとそういうのがないまぜになった感じはさすがでした。ちょっとかみかみだったけど。

奥菜さんはさすがになんというか、不思議な存在感がありました。

この看護婦さんは本当にいる人なのか幻なのか…的な。

普通に結婚することを夢見てる役が似合っていました。願いすぎて少し壊れ気味な感じ。

羽場さんは素敵でした。明るい感じではきはきしゃべる医者なんだけどとても現実的というかクールというか。山西さんは胡散臭いそしてどこか怖い怪しい役でした。

そして、今回一番気に入ったのは奥さん役の神野さん。

クスっとさせながらも、ホロリというか、ゾクっというか。感情がイマイチ掴み切れないような役でいて、最後は哀しい。神野さんと漣さんの場面でぐっと引き寄せられるというか。

見れてヨカッタです。

TLSでいっぱいいっぱいだったんですけど、でも、見たかったのです。

殿下の舞台は七色インコ以降はなんとか全部観れてますね。

つよポンの舞台は父帰る・屋上の狂人は観れませんでした。残念。素晴らしいという評判でした。

殿下の一個前の舞台の万年筆はどうもスズカツ演出が苦手だったこともあって、ちょっとコミカルすぎというかいきすぎちゃった感があったんですね。

キュートな殿下だったんですけど。

人それぞれ適材適所なんだなあというのが、TLSと象を続けて観ての気持ちです。

カトリさんがストレートプレイをやったらどんな感じなんでしょうか。

TLSは歌がメインだからまだあっていたけど、ストレートプレイを繰り返し繰り返しやるというのはカトリさんとっては修業になっちゃうんでしょうかw