シタオを観に行きました。
I Come with the Rainを観に行ってきました。
宗教色強い映画だよってことは聞いてて、その上で観てみたら、ホントにそんな感じでした。
キム様(*´∀`)って思って観に行くと、苦手な人は苦手な映画かもしれません。
北野映画の暴力と血が平気なタイプなら大丈夫かと。
こんなに紹介されてるあらすじとかキャッチコピーから内容が離れてる映画も珍しいのでは(笑)
というわけで、ネタバレありまくりな感想です。
シタオ=キリスト、リリ=マグダラのマリア、ドンポ=イスカリオテのユダって感じ。
どうもワタクシ的にはクラインのポジションがよくわからなかったんですよね。
クラインの過去話だけが別ラインで走ってた感じ。
敢えて言うならクラインは禁断の実をちぎっちゃった人間かしら。
そうか!雨と共にシタオにメシアがやってきたということでこのタイトルなのか!と雨の場面で思いました。
シタオとリリが眠る姿を見てドンポの心が変わるのかなあと思ったら、そうじゃなかったとこがよかったです。そりゃ、自分は不安で薬ってヒモつきで彼女を愛してたのに、目の前で無償の愛情を注ぐ彼女を見ちゃったら、チキショーですよね。
殺して磔にしてこそユダなのか。
ずっと恐怖政治で周りを押さえつけてたドンポだから、赦すって言葉は「やっと言ってもらえた」って感じなんじゃないかなと思ったんですけど、深読みのしすぎ?
出てくる人は何かしら誰かに「俺を止めてくれ」って思ってる感じがしたのです。
なんとなく、ドンポはシタオに救われたんじゃないかしら。
で、クラインはどうなの?っつーと、ずっとシタオの傷の写真を見て、シタオを切り刻みたい衝動ってあったんじゃないかと思うので、最後、磔られたシタオを助けるときにその衝動と戦って欲しかったんですよ。で、そこで、シタオの一言で今度は一線を越えずにすんだって展開だと、救われる感じが。
最後にシタオ。
死ねないってすんごい残酷なことだと思うんですよ。
自分で死ねないってすんごい拷問だと思うんです。
だって、磔になっても死ねないのに、あのまま放置されてたら…と思うとすんごい拷問じゃないですか。
死ねなくなったらどうするだろうって思ったら、誰かのために生きるとかっていう理由がないとなんかもうやってらんないんじゃないかと思って(笑)
誰かを救うために俺は死ねないんだ!って思わないとやってらんないんじゃないかと。
猟奇殺人者がクラインを利用するところはほほーうって思いました。
自分自身が作品に同化したいってことを実現させるためにクラインを利用したというか、ここでもまた誰かに止めて欲しかったのかしら。自分に一番近くなったクラインだったら、止められてもいい、というか、自分の意図をわかってくれて作品を完成させてくれるだろうと思ってというか。
もうね、見てていろんなこと考えたんですけど、その考えが深いんだか浅いんだか浅いんだかわからなくなってきましたよ(笑) ←多分、浅いんじゃないかな。思い込みっつーか。
どの人も自分や他人の苦痛の向こうに何かを見た、みたいな感じ。
キム様はSMAPって冠を下ろして、ここまでやろうと思うと、海外の人と組まないとダメなのかなあ。
シタオよかったです。いきなり自分の中に降りてきちゃったとまどいとかもなんとなくわかったし。
ふと、カトリさんって今、意外と自由にやらせてもらってる?って思いました。
キャラものとシリアスと振り幅はげしいですけど、結構、いろんな役やってるなあって。
そんなのやっちゃうの?!みたいなのが多い。親方だって、ジャニっこがやるにしてはおっさんだし(笑)
金狼みたいに怒りに任せて人を殺めてくってのはもうないのかなって思ってたんですけど、市の最後のほうってそんな感じですよね。
で、みたにんとのミュージカルではSMAPって冠置いて海外での公演だし。
キムタクを全うするキム様もすごいなあと思うし、こういう仕事をやりきるキム様もすごいなあと思います。
2つの比重がどっこいになるといいなあと思うんですが、まだ、キムタク比重のほうが多いですよね。
でも、キムタク仕事で、どうだ!って感じで結果が出たとき、なんかすっごいうれしくなる今日この頃です。
がんばってるのはキム様なのに、なんだかエッヘンって気持ちになります(笑)