ユニコーンやら電気グルーヴやら筋肉少女帯やらSMAPやらお芝居やら

突然のお別れ。

昨日、完太郎さん(ネコ・オス11歳)と突然のお別れをしました。

早朝4時くらい、完太郎さんは起き出してトイレを済ませて2度寝をしました。フツーにいつもどおり。

ところが、4時半くらいに突然、後ろ足をバタバタさせ、その後、足は動かなくなりました。呼吸も荒くなり、横倒しになり、舌が出ています。

5時くらいに病院まで走ってみましたが(完太郎さんは家に置いて)やはり病院は9時から。完太郎さんに4時間がんばってもらい病院に行きました。

心筋症のために血流の具合が悪かったのですが、それがたたって、どうやら血栓が腰の動脈にできたよう。

そのために血が足までまわらなくなり、足が動かなくなったのでした。

その状況は心筋症の末期状態であり、血栓を溶かす薬も効かないだろうと言われました。←詰まってるところが大きいから

積極的治療をするなら、手術して取り除くこともできますが、完太郎さんは心臓病ゆえに麻酔に耐えられません。

足が痛くて完太郎さんは聞いた事ない声で泣き、息苦しそう。

痛み止めの注射と利尿剤の注射をしてもらいました。

でも、苦しそう。

この先の選択肢は2つ。

・毎日痛み止めの注射をして、痛みを散らして延命する方法。

 ただし、今以上によくなる見込みなし。

・残念だけど、楽になる処置をする。

ダンナに電話をして相談し、我々が選んだのは後者でした。

とりあえず、完太郎さんを連れて帰り、家でみんなとお別れしてから、午後の診察で処置をしてもらうことになりました。

10時半くらいからお昼まで、ワタシは部屋で完太郎さんと2人きりでした。←他の子は可哀想ですが、しばらくちょっと別室に行ってもらいました

ずーっと話しかけて、頭なでて、喉なでて、足が不自由になったので行きたいと思うところへの移動ができないのでお手伝いして…。

なんかずっとボロボロ涙がでました。

もうお別れなのかと悲しくて。できるだけのことはしたけれど、もっと出来たんじゃないか…とか。今までの完太郎さんがしでかしたスットコな出来事とかイロイロ。

しばらくはソファに横たわってたのですが、いよいよ辛くなったらしく、ステンレスの棚の下に潜り込みました。

1時くらいにダンナが会社から帰ってきました。

潜り込んでいた完太郎さんはすき間から頭だけ出して、頭をなでてもらっていました。

1時から4時まではずっとダンナが完太郎さんとお別れしていました。後半、夏目さんと宗一郎さんもお別れに加わりました。

4時になって、病院へ行き、処置をしてもらいました。

麻酔薬ような薬を徐々に入れて行き、眠らせながら心停止させるのだそうです。

処置の前、先生とお話しました。

1月の最悪の状態から奇跡的に回復し、最近はとても調子がよかったのでこの急変に、先生もびっくりしていました。食欲もあり、トイレもちゃんとしてたし、先生も私たちももう少し生きてくれると思っていました。

先生が選択肢として「処置」を出したとき、ワタシは不思議とそれを選ぶことにためらいはありませんでした。

先生がそういう選択肢を出した事で治らないんだなと思いました。

1月の大変だったことを知っているし、現状はそれにプラスして、もう自分でトイレにもいけなくなっています。

また、1月の時点での治療は投薬によって「完太郎さんの生活が普通レベルに戻る」可能性がありました。実際、1ヶ月ほどで普通の生活に戻りました。

でも、今回の投薬は痛みを若干和らげるだけの延命治療です。

今よりよくなることはなく、悪くなる一方で、その過程での痛みを減らす治療でした。痛みを減らすだけで、完全に取り除く事はできないまま、悪化していくのです。

苦しみは短い時間にしてあげたかった。

それは、お母さんや洋子さんの最期を看た経験から来てるのかもしれません。

処置がすんで、先生がお花を添えて箱に完太郎さんを入れてくれました。

まだ、反射で筋肉が動いていて、今にも起き出しそうでした。

安らかな顔をしていました。

お通夜をしたかったのですが、そのまま霊園に電話をして霊園でお葬式をしてもらいました。お葬式でもう一度お別れをしました。

思い出すとボロボロ泣けます。

11年間、感謝感謝です。

家に帰るといつも迎えてくれました。誰かがいない部屋に帰る事がありませんでした。

今でもテレビの上にいそうな気がします。

宗一郎さんたちが最期に完太郎さんが居た棚の下をずっと見ていました。いつもなら走り回ってる時間なのに、宗一郎さんも夏目さんもとても大人しくその場所を見つめていました。

今朝も覗いていました。

ありがとう、完太郎さん。