ユニコーンやら電気グルーヴやら筋肉少女帯やらSMAPやらお芝居やら

追い込み。

お江戸漫遊から戻って参りました。

殿下、麗しゅうございました。

難解な不条理劇…と構えて行ったら、それほどでもなくテーマのはっきりしたお話でした。

それは、明日以降に語ることに致しまして… ←明日が楽なのでネタバレもできるかと思い

今は友のところに送るごはんやの最終話の追い込み中でございます。

〆切伸びてるのにも関わらず、結局ギリギリになるいつのパターンで…ダメすぎです。

でも、ぎゅっと追い込んだほうが、一気にいったほうが、なんかイキオイが出るんですもの。←イイワケ

描くに当たって、過去話を読み込みました。

なにせ10年近く前に描き始めた話です。

今のカトリさんとつよぽんとの関係とかそういうのと若干のズレはあります。

若いし。

ただ、それを今の歳にむりやり持ってきて書いてもと思い、若い2人の関係のままで最終話を書いています。

だからきっと、イキナリ読んだ方は違和感かなあ、古くさいって思うかなあ、なんて思ったりもしています。

イマドキの漫画も小説もとんと読まなくなってるので、センスが10年前なのです。

これはもう仕方ないか。

読んでみて思ったのは、過去の自分偉いw

自画自賛じゃないけど、時系列がちゃんと考えられてて、読んでて破綻がなかったのです。

エピソードがバラバラに描かれてたけど、並べ直すとちゃんとしてました。

がんばってたんだな…。

その流れを止めることなく書こうとすると、今の自分、がんばらねば。

書きかけの話が3つくらいあったのですが、3つのウチ1つはボツにして、2つを残しました。

1つは木村くんとのその後の話。

そして、もう1つは今回描いてるつよぽんとの最後の話。

どちらも時間の流れは同時刻くらいな話で、片方はつよぽんサイドからの話、片方は慎吾サイドからの話という風に上手くなっていました。

ありがとう、過去の自分w

お話を描いてると当時のカトリさんと今のカトリさんが結構変わってるんだなってことに気付きます。

仕事についてのコメントとか、結構変わってますよね。

パブリックイメージのままのコメントで本心が相変らず読めないままのことが多かったのに、ここ最近のコメントはとても素直だと思います。

不安や自信のないところと、ちょっと自信のあるところと、そういうのを上手く語れるようになったような気が。

だから、ごはんやの慎吾はちょっといいわけがましいかもしれない。

それは、まだこの物語の慎吾は自信というか「これでいいんだ」ってことを手に入れていないのかな…と自分で思ったりしました。

つよぽんが自信を手に入れて変わったように、慎吾もどこかで「これ」ってものを手に入れたんだと思うんですよ。

最後の話は「これ」を手に入れる話にしようと思っていたので、今、がんばっています。

事実は小説より奇なりなしんつよなので、こっちが書こうとしてるお話の斜め上を行かれてるんですけどw

まあちょっと、ワタクシの描くつよぽんはしっかりしすぎのところもあるんですけど、そこはすいません、慎吾受脳なので許してください。

むあー、がんばりますw

03/28

※ターロウよかったですね。みたにんが好きなカトリさんが描かれてたような気がします。ワタシもタンバリンの場面が一番好きでした。初めて観たとき、あの場面では会場からの拍手はなく、演奏とターロウのタンバリンだけで進んだので、1人また1人と音が減っていく感じがリアルで、全員がいなくなったときのターロウのタンバリンとそれを叩くときの「あれ?!いなくなっちゃった?!」っていうとまどいがすごく真っすぐ刺さってきて、泣きそうになりました。しーんとした中、タンバリンが落ちて、ターロウの台詞。そして、暗転。発声とか歌とかダンスとかは日本でのほうが断然よかったりするんですけどね。

あの場面はNYのときのほうが刺さってきた気がします。初めて観たからってこともありますが。

唄い方が変わって、がんばれば唄いたいように唄えるようになってるのがいいなあと思って。そして、ヨカッタなあと思って。音楽は好きだし歌は好きだけど下手で…っていうの読んだときはちょっとホロリと着たものですから…←過保護

ターロウはいろんなことを発信してくれましたよねえ。ブログはホントに距離を埋めてくれた気がします。

お嬢さんみたかったなあw