ユニコーンやら電気グルーヴやら筋肉少女帯やらSMAPやらお芝居やら

ヘド。

ヘド・ウィグ&アングリーインチを見に行ってきました。

友に絶対予習していけと言われ、予習はしたものの歌の半分もちゃんとわかってなかったかも_| ̄|○←ごめん、ヘド

見に行った友たちからもれなく美脚と美尻の感想をもらったんだけど、ホントにステキだった。脱ぐと上半身はあんなに巨乳でキモチワルイのに(笑)、脚と尻はすばらしかった。

通路側だったので、先生が横を通っていったんですが、いやーもう、美肌も堪能。

自分のことを話始める前にタバコに火をつけるシーンがあったんですが、なんかうまく火がついてなかったみたいで「は!火がついてなかった!」ってビックリするんですが、あれって毎回だったんでしょうか。

それとも、1曲目でイキナリ客が立ってノリノリになっててビックリしたからなんでしょうか。

美輪様がシャンソンで己の人生を語るように、ヘドはロックで自分の半生を語ってました。

すっげーカッコよかった。

そして、可愛かったです。

大阪楽日ということで、カーテンコールのときにORIGIN OF LOVEを歌ってくれました。←毎回?

そして去っていた先生。なりやまぬ拍手。もう一回出てくる先生。

「え、まだ…足りませんでしたか?」

工エエェェ(´д`)ェェェエエ工工 ←思わず

賞讃の拍手なのにー(笑)

なんとなく、コトが終わった後にふと冷静になってタバコに火をつけ「あれ?まだいたの?」って言われた気分。

ステキだ、先生。クールだ、先生。

英語の歌は字幕出たヤツはなんとか追ったけど、アングリーインチの歌は予習して行ってよかったーって思いました。

セリフだけじゃなくて、曲でもお話が進んじゃうから、歌わからないと何が起こったかわからないんですよね。

歌はとても素晴らしかったので残念。歌だけで頭に意味が入るほどに英語が堪能じゃない自分のノーミソにツッコミでした。しょんぼり。

ワタクシの理解が足りないのだと思うのですが、ヘドは最初から素質があったんでしょうか。それとも、不幸な初体験が引き金となって目覚めてしまったんでしょうか。あ、でも、歌でママのキャミソールつってるから、素質があったのか。

ヘドはいろんな場面でタイミングの悪い人なのかなあと思いました。

必ず、ジョーカーを引いちゃう人なのかなあと。

壁が壊れてから東から逃げ出せば、違った人生だったかもしれない。

アングリーインチのせいで傷つくことはなかったかもしれない。

その度に傷ついてどんどんどんどん本人が本当に望んでる方向とは違うトコに進んでいっちゃったのかしら。

救いは最後にトミーがアンサーソングを歌ってたトコ。

トミーになった先生はちょっとジギースターダストのようでしたよ。

イツァークの中村中さん。

男声から女声までピッタリはまってましたね。

綺麗な人でした。

アゴと肩とか腕あたりに生来の性が出ていたけど、中さんはヘドの物語をどんな風に思ってやってられたんでしょうか。

ヘドがイツァークにまたウィグを許したとこもなんか好きでした。

あの物語の後のヘドはヘド・ウィグに戻ったのか、ヘドになったのか、気になるところ。

曲を作る才能を持つヘドとそれを伝える才能を持ってるトミーと2人で曲を作って歌う生活を始めるヘド。

トミーはヘドのことを女性として愛してたらしく、ヘドの股間に1インチの男性が残ってることを知って離れていきます。

ゲイの人がノンケに惚れたとき、告白して断絶されるくらいなら友達としてでいいからソバにいたいと恋心を伝えられないって悶々とされてたりするのですが、まさにソレ。

一度、友に「友達がゲイだってカミングアウトしてきたらどうする?」って聞いたことがあるのですが、返ってきた答えは「自分に気があるかないかで大きく対応が変わる」でした。

気があるとわかったときはとてもたじろぐ、って。

同性愛に関しては差別したり非難したりする気持はないけど、身近でカミングアウトされたら、かなりたじろぐ、と言われました。

そのたじろぎはなんつーか「違和感」なんだそうです。

同性から性の対象にされるという違和感。男性は自分は女性のことをそういう目で見るときがあるっつーのに、自分がその対象にされることには慣れてない、と言ってはりました。

慣れてないというか、怖いらしいです。どうしようって思うって。

友達としてのつきあいならいいけど、そういうつきあいはやはりできない…と。

平静は装っていても、態度の端々に堅さや拒絶がでるかもって。

徐々に慣れていくことはできるだろうけど、最初は相手を傷つけるかも…って。←ノンケの友がゲイの人を

トミーは最後の歌でやっとヘドにごめんねを言えたワケだけど、どうしたらいいのかわからなくて逃げ出したのかしらって思いました。

ヘドはそれがわかってるけど、わかるだけに哀しいし許せなかったのかなあって。

彼の歌を聞いて、ヘドはやっと自分を貶めなくても、もういいんだって思ったのかしらって。

先生のヘドはチャーミングでした。

お化粧した顔は綺麗じゃないけど、どっちかっていうと怖いけど、可愛い人でした。

プリプリしながら、うっとりしながら、ションボリしながら、自分の半生を語ってくれました。

もったいない部分は多々あるお芝居だったような気がしますが、チャーミングなヘドのお話を聞けて、歌を聴けて、よかったです。

うむ。

長くなったついでに、ヘドのお話を聞いて「ぼくをさがしに」って絵本を思い出しました。

パックマンみたいに1ピース欠けたホールケーキみたいな丸い「ぼく」が欠けたかけらを探しに行く話です。

1ピース欠けてるので転がるときもぎこちなく、がたがたして早く転がれず、ゆっくりゆっくり転がって旅をするんですが、ゆっくり転がるので、チョウチョがとまったり、お花の香りをかいだり、旅を満喫していました。

ずっと転がってるウチに「ぼく」はついにカケラを見つけます。カケラはぼくにぴったりあって、一緒になった2人はとても快調に転がります。

が、快調に転がりすぎて、チョウチョとお話することもお花の香りをかぐこともできません。

ぼくはそっとカケラを外し、「ごめんね」って、カケラを置いて、またもとの欠けた「ぼく」に戻るのでした。

いい話なんですけど、置いて行かれたカケラはどうなるのよ!と思いました。そしたら、続編がありまして、カケラはカケラでビッグオーというデッカイ○に導かれ、一緒になって自分で転んでるウチに△だった形の角がだんだんとれて丸くなり、一人でコロコロと転がれるようになるのでした。

好きなのは最初の欠けててもいいんだよ、欠けてるからこそわかることもあるんだよ、の話のほう。

ヘドは欠けてるからこそ、いろんなことを知り、体験し、やさしいのかなあとかって思いました。あ、片割れを探してるけど、ヘドの場合は余分な1インチがあるからこそかしら。

なんて…うはあ、話あっちこっち飛びすぎましたよ_| ̄|○