ユニコーンやら電気グルーヴやら筋肉少女帯やらSMAPやらお芝居やら

ユナイテッド93

最後の瞬間、バンっと画面が真っ暗になったときになんかわからないけど、ブワっとこみあげる何かがありました。

泣きそうな感じ。

でも、それが悲しいのか、なんか憤ってるのか、なんなのか、よくわからない感じ。

きっと犠牲者の家族の話+管制塔やら航空局の人の話+フィクションだと思うのだけど、淡々としてたのがよかったです。

テロする側、巻き込まれた側、どっちにも肩入れしてなかった。

テロリストを極悪人のように描いてるわけでなく、立ち向かった乗客を英雄っぽく描いてるわけでなく、なんかただ淡々と9月11日の航空機自爆テロのことが描かれてました。

舞台はユナイテッド93の機内と軍の基地と官制センター。

エンドロールみてたら、管制官の人とか本人が演じてました。

そのときのことを思い出しなら、映画の中で自分を演じたんだろうか…と思いました。

記録として残そうと思って演じても辛かったろうなあ。

機影を見失った飛行機が目の前でWTCに突っ込でいったのを見た管制官たちの表情。

為す術も無いってああいうことを言うんだなあって思いました。

管制官の人たちはパイロットとの無線の交信とレーダーの機影の高度と方向でしか状況がわらかない。

でも、一番最初に異変に気付いて、行動せねば!ってなってた。

軍の人たちは動くためには許可が必要で、なかなか動かない。

でも、テロだってわかったあたりで、大統領は速やかにホワイトハウスから脱出してた…。ま、一番偉い人だからだろーけど。

ユナイテッド93の乗客乗員の人たちの心の移り変わりもよかった。←よかったってのもおかしいけど

最初は脅えてバラバラだったんだけど、飛行機電話で今何が起こってるか知ってからの行動は素晴らしかった。

機内で実際に何が起こったかはあくまでもフィクションだと思われるんですが、

全員の行動は納得できます。

自分はあの場で動けるのかなあとか思いつつ、ここで感心したのはテロリストの葛藤も描かれてたことでした。

乗員が立ち上がる情景だけじゃなく、自爆テロリストとして搭乗した4人のテロリストの葛藤もちゃんと描かれていましたた。

躊躇ったり、不安だったり、でも自分を奮い立たせたり。

搭乗前に家族に「愛している」と伝えるテロリストたち。

それがよかった。

最後の場面。

テロリストは標的を目指しながら成功を神に祈り、乗客は自分たちの運命を思いつつ神に祈ってました。

信念や宗教で人を殺しちゃいけないと思う。

それは本人にとって正しい戦いかもしれないけど、結局はまた別の戦いを生むと思うし、誰も納得しない。勝ち負けもない。

感情とか快楽とか信念とかそういうので何かを殺すのは人だけだと思う。

食べるためとかそういう本能的なコトじゃなくて、思想的なもので何かを殺すのは人だけだと思う。

んでも、それだけはやっちゃダメなことなんじゃないかなあ。

語弊があるかもしれないけど、ハイジャックされたユナイテッド93の乗員も自爆テロの実行犯も両方とも被害者だなあと思った映画でした。

テロはいけないことなんだけど、実行犯も信念とか宗教とかそういうのの狂信とか盲信とかの犠牲者だなあと思ったのでした。

完全ノンフィクションじゃないけれど、あの日何があったのか、見といたほうがいい映画なんじゃないかなと思いました。

テロなんて海外の出来事のようだけど、10年前のサリン事件は立派なテロ。

教義に基づいた正しいこととして行われました。

友がちょうど同じ路線の地下鉄で通勤してて、ドキドキした。連絡したら時間がちょっとズレてたから大丈夫だと答えが帰ってきました。

電車とか地下鉄とか飛行機とか何気なく乗ってるけど、何が起きるかわからないんですよねえ。

はー。

そんこんなでイロイロ考えながら電車乗って帰ってきました。

こういう刺激も必要なんですね。